国益を語るには国防を語るべし

 

 

 

 

 

 

 

国益、すなわち国家にとっての利であり、国民にとっての利である。

国益は内政・外交により得られもするし失うこともある。

如何にして国益を確保するかが国家としての務めなのである。

ところが近年の日本は度々国益確保のチャンスを逸してきているどころか、

国益損失を招くような道を歩みつつある。

それだけ議員の思想と行動が国家のためになっていないかが分かると同時に、

国民が、奉戴するべき代表者を適当な判断で選んでいるかが分かるだろう。








さて、日本は国益損失の道を歩んでいると述べた。

韓国による竹島不法占拠中国による尖閣諸島侵略はその好例と言えるだろう。

そもそも領土は国益と密接にかかわるものである。

領土が縮小するということは、

日本の国土が侵略されていることど同義であり、

さらには経済水域、領空権の問題にまで発展する。

これを放置することは、

『日本は自分の土地を好き勝手されても何も文句を言わない』

というメッセージを世界に発信することを意味する。

中国が日本の土地を買収している現状も憂うべき問題なのだ。







さて、ここまで書いたわけだが、

国益を守るために必要なのは、政治力もそうだが、国家防衛の姿勢が必要不可欠だ。

日本には戦力を有する軍隊というものが存在しない。

(※先進国で軍隊を持たないのは日本だけであると思って差し支えない。)

『軍隊』という単語を目にしたり耳にすると、

過剰にヒステリックを起こす人や、物騒なイメージを連想する人も居るだろう。

しかし、最終的に戦火に巻き込まれた場合、国を守るのは誰なのだろうか。

他でもない軍なのである。

日本には自衛隊という組織が居る。

自衛隊は憲法の解釈上、軍隊として認められていない。

必要最低限の防衛組織なのである。

もちろん防衛をするからには、隊員も居るし兵器もレーダーもある。

しかし自衛隊員は全国で20万人程度しかおらず、

先進諸国と比較して、比べ物にならないほど規模は小さい。

さらに、自衛隊には先制攻撃が認められず、

『攻められるまでは攻撃してはいけない』

という専守防衛が義務付けられている。

例え他国が日本への攻撃を示唆しても、

攻撃が行われるまでは何も抵抗してはならないという現実があるのだ。

さらに集団的自衛権の行使は現時点では認められておらず、

他国で活動中に、アメリカ軍などの味方が攻撃されても、自衛隊は援護すら出来ない。

お荷物同然の扱いにされているわけだ。

確かに解釈上は軍隊ではない。

しかし、これで国家を危機から守ることは誰が考えても不可能なのだ。

爆弾が東京に投下されてから反撃では遅すぎる。








日本人の中には戦後の反日感情を引きずってか、

憲法9条を病的なレベルで崇拝する人がいるようだ。

平和主義を謳う9条は確かに耳障りの良い言葉であり考えである。

しかしこれを掲げて何をするつもりなのだろうか。

まさか日本国憲法を世界各国が遵守すると思っているわけではあるまい。

日本国憲法は日本の最高法規という存在であって、世界のルールブックなどでは無い。

こんな基本は高校生ですら分かるレベルだろう。

平和を提唱するのは何も悪いことではないし良いことだろう。

しかし常に銃を片手に持つ国に対して、

丸腰の日本が平和を提唱して何がどう変わるというのだろうか。

軍を持たない日本が外交で後手後手になってしまい、

結果的に国益を失しているという歴史は既にあるではないか。

それとも自称有識者を語る能無しのように、

例え攻められても抵抗してはいけない。

その時は撃たれて死んでもかまわない。

とでも言うつもりか。

国民の生命を守り、国の繁栄を成すことが使命である国家が、

それを放棄するなどとんでもない話ではないか。










国益を考えるならば国防を考える必要があるのは当然。

しかし今の日本は、そこに予算を割かないという理解に苦しむ状況にある。

ミサイルが飛んできたらどうなるか。

憲法9条信者や、平和主義者の多くはその危険性を排除して考えているだろう。

その心配は無いという根拠は何か、まずはそこを説明いただかないと納得できない。

それとも、国益と国防を考える私のような人間の方がおかしいのだろうか。

先進国として、考えて当然だと思うのだが如何だろう。
 

 

 

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