尖閣諸島映像流出は政権の怠慢が招いた

 

 

 

 

 

 

 

2010年、日本に激震が走った。

日本の領土として世界的にも認知されている尖閣諸島が、

中国漁船(工作船)の領海侵犯行為により蹂躙された。

海上保安庁が警告を発する中、

巡視船に漁船が衝突し問題となった事件は記憶に新しい。

 

 

この事件の真相をめぐって世論も揺れた。

領海侵犯がどれだけ国家に対する侮辱行為かを認識してるかどうかは知らないが、

少なくとも多くの国民がこの事件をきっかけに危機感を抱いた。

とりわけ石垣島などの衝突現場近隣に住む方々は夜も眠れなかった事だろう。

マスコミも報道を開始し、その事件の内容が全国に知れ渡ったが、

真相そのものは当事者間でしか把握できないものに留まっていた。

 

 

何故か。いたって単純だ。

真相を証明する映像が全く我々の眼に入ってこなかったからだ。

 

 

 

事件後、海上保安庁が巡視船上で映像を撮影していた事が判明。

この映像を公開するか否かで国会も揉めたのだ。

そもそも公開を拒否する時点で頭がおかしい。

真実を国民に知らせず何が主権だ。何が国家だ。何が民主主義だ。

日本の領土が切り取られかねない現実は起こりうる事であり、

それは国会や政府が時には国民一人一人が命懸けで阻止しなくてはならない。

そのためには多くの国民から理解を得る術が必要だろう。

真相を知らずして何を解決させるというのか。

公開を躊躇った政治家の方々のご見解を伺いたい。

 

 

 

まぁ気持ちを代弁するならばいくつかあるが、

一番は中国との国交が裂かれてしまう恐れがあるということだろうか。

しかし日本が何を譲歩する必要がある。

明らかな被害者である立場のこちらが、

加害者に服従の意志を表明するべきとでもいうつもりだろうか。

それこそ臣従であり、日本が主権を放棄し、中国の言いなりになるための手段ではないか。

売国奴が多いのは承知しているが、

ここまであからさまにそのスタンスを見せ付けてくれるのもまた滑稽だ。

 

 

 

そして映像流出という騒動に発展する。

流出させたのは保安庁に属する保安官。

You Tubeに映像を公開させ、日本のみならず世界中の人々に真相を明かした。

とりわけ日本人は『sengoku38』という名を覚えているはずだ。

彼が映像を流出させた事が問題視された。

確かにこうした情報の流出は問題ではある。

言いたくは無いが、これがまかり通ってしまえば情報の悪用が模範であるとされてしまいかねない。

時として国家の情報が流出したならば死活問題である。

この保安官は何かしらの処罰を受けていただかなくてはならない。

多くの世論が処分せず許してほしいと嘆願してるのは十分分かっている。

しかし倫理、秩序の観点ではやはり処罰しないわけにはいかないのではないか。

こう書く私を売国奴の一人と定義する人もいるかもしれない。

 

 

 

言わせてもらう。

もちろん処罰を受けるのは保安官だけではない。

 

 

 

真実を映し出す映像の公開を拒否した民主党。

とりわけ菅首相、仙石官房長官、管轄である馬渕国交相は、

議員バッジを外して国民に対して土下座をしていただく事になる。

私からしてみれば北沢防衛相も同罪である。

真相を知らせず有耶無耶に事を収めようとし、

一方的加害者である中国政府への配慮を優先した罪は非常に重い。

保安官の罪は情報流出による倫理、秩序の放棄によるものだが、

それでも我々に真実を提示した功績は確かであり、

どこかの官房長官が述べた『厳重な処罰』とまではいくまい。

 

 

 

むしろ厳重な処罰が必要なのは、

この映像流出を公開拒否によって呼び込んだ民主党の方だろう。

もちろん民主党に限定するつもりはない。

野党側にも映像公開をするべきではないと意見した者がいたはずだ。

罪の代償としてその首(議員バッジ)を捧げてもらうしかない。

 

 

 

何が原因なのかを知るためには、その大元の存在が最も重要なのだ。

映像流出が問題視されるのはそれ相応の非があり、責任があるから。

しかしそれ以上の責任を負うべきなのは政府であろう。

流出は国家の統率力と管理体制の杜撰さも曝け出した。

これが意味するのは『政府の失態』という言葉ではないか。

 

 

 

保安官の処分を検討するのは勝手だが、

政府の中枢に居る自分たちが他人事では話にならない。

結局は保身に走るしかないのでは、

国家を背負って立つ責任感が微塵もないと思われて当然だ。

そんなふざけた人間など国会議員である資格が無い。

 

 

 

 

恥じて死すより生きて汚名を雪がん

 

 

 

この気概に重みを感じ、国家を担うべき者が背負わなくて誰が背負う。

そしてその気概を悪用し、エリートの椅子に座り続ける事は看過できない。

本来の責任のありかは保安庁でも保安官でもない。

後手を踏み、人の目を欺こうとしている今の政府にあるはずだ。

 

 

 

 

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